月下の港

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「信長の野望・天翔記HD」プレイ日記(1560年織田家中級)その4

前回の記事はこちら。

gekkahope.hatenablog.com

1563年春、同盟を結んだ上杉勢とともに、武田にとどめを刺すべく出陣。前回も書いたように武田の城は残り2つだったが、そのうち戸石城を織田勢が落とし、もうひとつの小諸城は上杉勢が落とした。戦後、飯富(山県)昌景と、飯富虎昌を配下にすることに成功。さらに浪人になった武田信玄武田勝頼を登用した。馬場信房真田幸隆は残念ながら上杉に取られた。これで武田家は滅亡。この戦いで上杉謙信の戦闘力がだいぶ上がってしまったが、仕方ない……。

1563年夏。武田信繁が上杉勢の落とした小諸城で旗揚げし、武田家復活。これが信繁だからまだ良いが、信玄だったら厄介だったな。すぐ登用しておいて正解だった。

1563年秋。浪人の真田信綱を登用した。さらに小諸城を攻略し、武田家をまた滅亡させた。戦後、信繁を登用。この後は北条と戦う予定だったけど、北条を滅ぼしたらライバル不在になった上杉が東日本を統一しそうなので、上杉のおさえとして北条はわざと残すことにした。主力を西に向け、空白地の上野城を占拠した。

1563年冬。筒井家を攻めて滅ぼした。

1564年春。河内畠山家を攻めて滅ぼした。が、堺を本願寺家に取られたので、そのまま本願寺と開戦(まあゲーム序盤で長島は落としてたけど)。畿内本願寺の城のうち、岩室城以外は落とした。鈴木佐大夫の鉄砲が厄介だったが、鈴木重秀がまだ登場してないだけマシか。

ここで誤算がひとつ。北条家と疎遠になりつつあるというメッセージが出た。このまま放置しておくと北条が攻めてくる恐れがあるので、西への侵攻はストップせざるを得ないかも。

1564年夏、岩室城を攻略し、畿内から本願寺の勢力を駆逐した。

1564年秋。六角家・三好家と同盟を結んだ。これは失敗だったかも。攻められるところが減るという意味で……。次の手としては、主力を2つに分けて、西は堺を防衛しつつ東の北条と戦いたい。織田家は人材が豊富なので二正面作戦もいけるはず。