月下の港

遊んだゲームのプレイ日記を書いてるブログです。

「信長の野望・天翔記HD」プレイ日記(1560年織田家中級)その7

前回の記事はこちら。

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67年秋。本願寺八上城丹波亀山城・二条城を攻略。

67年冬。本願寺の鈴木左大夫を百地三太夫で暗殺。能力の高い敵武将は味方にすれば心強いので、暗殺で消すのはもったいないが、仕方ない……。さらに本願寺勝龍寺城・槇島城に焼討をかけた。稲富の鉄砲に苦戦しつつ、勝龍寺城を攻略。槇島城は松永に取られてしまったが、これで本願寺は滅亡した。

68年春。里見と疎遠になった。上杉の侵攻に備えて、有力な武将を関東に移動させた(前回、関東から避難させた意味はなかった)。西の長宗我部の侵攻にも備えないといけないのが難しい。

68年夏。また他大名との関係が悪化し、上杉と険悪、神保と疎遠、六角と険悪、松永とかなり悪化になった。六角から同盟破棄された。そこで六角を攻めたが、油断して主力を温存したら池田恒興と小浜景隆が敵の捕虜になったのでリセット。やり直して、六角の水口城・観音寺城佐和山城を攻略。六角義賢を処断したところ、三雲成持が後を継いだ。連続攻撃で今浜城・大溝城・坂本城を攻略。これで三雲は滅亡した。

68年秋。上杉に同盟を破棄された。長宗我部と関係かなり悪化。上杉と開戦。岩付城・古河城を攻略。古河城では北条高広の焼討で被害が少し出てしまった。さらに千葉城を攻略。

68年冬。三好と疎遠に。上杉の松山城・平井城・忍城箕輪城を攻略。

69年春。里見と関係かなり悪化・松永と険悪。上杉の厩橋城・沼田城・唐沢山城を攻略。連続攻撃で上杉の与板城・栃尾城・坂戸城・琵琶島城を攻略。自軍の本庄繁長が「挑発」獲得した。

69年夏。長宗我部と険悪。山名と疎遠。上杉の新発田城・本庄城・津川城を攻略。上杉謙信を処断。能力を考えると非常にもったいないが……。後を継いだのは上杉景信。さらに上杉の土浦城を攻略。

「信長の野望・天翔記HD」プレイ日記(1560年織田家中級)その6

すっかり止まってしまっていたけど、久々に進めた。

今回からシナリオ設定の「戦争頻度」を「理知的」に変更している。デフォルトでは「好戦的」になってて、COM大名がガンガン戦争するので(武将の能力もガンガン上がって)難易度が高いんだけど、「理知的」にすれば多少は戦争を控えてくれるかも? もちろん自分はガンガン戦争する。それによって体感的な難易度が下がるのではないか? という目論見。

 

1566秋・上杉家・本願寺家と疎遠に。本願寺は今更どうでもいいが上杉はキツいな。斎藤家の小谷城大垣城郡上八幡城を攻略し滅亡させた。さらに三木家を降伏させた。

冬・六角家との関係が悪化。使者を送り関係改善。上杉家にも使者を送ったが会見に応じてくれない。いつ攻めてきてもいいように、関東の武将を避難させた。城は捨てる覚悟。

1567年春・神保家の富山城を攻略。神保はそのまま放置して本願寺領へ攻め込む。大聖寺城、増山城、七尾城、尾山御坊を攻略。さらに北ノ庄城、府中城、一乗谷城を攻略。

夏、金ケ崎城、後瀬山城攻略。この戦いで信長の鉄砲がSになった。連続攻撃で建部山城、横山城を攻略。横山城稲富祐直が鉄砲籠城してて苦戦した。さらに宮津城攻略。

秋・上杉・六角家と関係悪化。長宗我部家と疎遠になった。

上杉家との友好度はまだ50残ってるので、これが0になって攻めて来る前に全力で本願寺家を滅ぼしたい。本願寺もまだ兵士600人ぐらいいて、鈴木佐大夫稲富祐直といった鉄砲隊も健在なのでキツいが。

「信長の野望・天翔記」1560年の織田家が意外と難しい

このブログで天翔記1560年織田家のプレイ日記を書いてきたけど、今は止まってしまってる。難しい。なぜ難しいのか書きたい。

織田家のスタートの領地は日本の真ん中あたりにあり、西へ行くも東へ行くも自由なのだが、東から今川家から攻めてくることが多く、まず今川をなんとかしないといけない。この天翔記では織田家をプレイヤーが担当してると桶狭間合戦のイベントが起きない謎仕様なので、自力で今川を潰す必要がある。

しかし今川を潰したら武田や北条と隣接するし、このブログのように武田を滅ぼしたら今度は上杉と隣接してしまう。天翔記の定石はまず東端(蝦夷地)か西端(種子島)を取り、その後に反転して全国統一していくのが良いらしいが、西を放置すると今度は強力な鉄砲隊を備えた本願寺が領土を拡大してしまう。

そんなわけで、このゲームの信長は西で戦ったり東で戦ったり、キリキリ舞いをしないといけない。それが難しく感じる。史実同様に軍団を活用しろということなのかもしれないが……。

「信長の野望・天翔記HD」プレイ日記(1560年織田家中級)その5

前回の記事はこちら。

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1564年秋。松永家とも同盟を結んでしまった。これで畿内の隣接勢力とは全て同盟を結んだ形。まあ北条攻めに専念できると考えよう。一方、前に同盟を結んだ斎藤家と疎遠になってしまった。後で友好の使者を送らなければ……。細かいところでは、武田勝頼が講義で足軽Cになった。

1564年冬。斎藤家に使者を送り、友好を回復した。それから、せっかく鉄砲産地をおさえたので、このターンから少しずつ鉄砲を買っていくことにした。

1565年春。北条家と開戦。韮山城小田原城滝山城玉縄城を一気に落とした。韮山と小田原は事前に焼き討ちもかけている。このゲームは焼き討ちが非常に強いので、小田原城と言えども簡単に落ちるのがいいね。さらに浪人していた足利義輝を登用した。

1565年夏。江戸城河越城を落とし、北条家を滅ぼした。北条に味方した千葉家も一緒に滅んだ。なおこの戦いで、蜂須賀正勝が「一喝」取得。しかしまた斎藤家と疎遠になりつつあるというメッセージが出た。もういいや。次のターゲットは斎藤だな。

1565年秋。今度は六角家と疎遠になりつつあるというメッセージが。まだ同盟結んで1年ぐらいしか経ってないのになあ……。浪人していた土屋昌次を登用。

1565年冬。浪人の北条氏康・綱成・氏照を登用できた! やったぜ。

1566年春。斎藤家に仕えていた原虎胤を内応して、出奔させることに成功。さらに安藤守就と内応の約束をした。

北陸の方で本願寺家が息を吹き返し、また勢力を拡大しているのが気になる。厄介な奴らだ。

1566年夏。斎藤家と手切れして開戦。木曽福島城・岩村城稲葉山城を一気に攻略した。安藤守就は内応の約束を守り、寝返ってくれた。斎藤家に仕えていた内藤昌豊を戦後登用。

「信長の野望・天翔記HD」プレイ日記(1560年織田家中級)その4

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1563年春、同盟を結んだ上杉勢とともに、武田にとどめを刺すべく出陣。前回も書いたように武田の城は残り2つだったが、そのうち戸石城を織田勢が落とし、もうひとつの小諸城は上杉勢が落とした。戦後、飯富(山県)昌景と、飯富虎昌を配下にすることに成功。さらに浪人になった武田信玄武田勝頼を登用した。馬場信房真田幸隆は残念ながら上杉に取られた。これで武田家は滅亡。この戦いで上杉謙信の戦闘力がだいぶ上がってしまったが、仕方ない……。

1563年夏。武田信繁が上杉勢の落とした小諸城で旗揚げし、武田家復活。これが信繁だからまだ良いが、信玄だったら厄介だったな。すぐ登用しておいて正解だった。

1563年秋。浪人の真田信綱を登用した。さらに小諸城を攻略し、武田家をまた滅亡させた。戦後、信繁を登用。この後は北条と戦う予定だったけど、北条を滅ぼしたらライバル不在になった上杉が東日本を統一しそうなので、上杉のおさえとして北条はわざと残すことにした。主力を西に向け、空白地の上野城を占拠した。

1563年冬。筒井家を攻めて滅ぼした。

1564年春。河内畠山家を攻めて滅ぼした。が、堺を本願寺家に取られたので、そのまま本願寺と開戦(まあゲーム序盤で長島は落としてたけど)。畿内本願寺の城のうち、岩室城以外は落とした。鈴木佐大夫の鉄砲が厄介だったが、鈴木重秀がまだ登場してないだけマシか。

ここで誤算がひとつ。北条家と疎遠になりつつあるというメッセージが出た。このまま放置しておくと北条が攻めてくる恐れがあるので、西への侵攻はストップせざるを得ないかも。

1564年夏、岩室城を攻略し、畿内から本願寺の勢力を駆逐した。

1564年秋。六角家・三好家と同盟を結んだ。これは失敗だったかも。攻められるところが減るという意味で……。次の手としては、主力を2つに分けて、西は堺を防衛しつつ東の北条と戦いたい。織田家は人材が豊富なので二正面作戦もいけるはず。